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作者一覧 心のアート展

遡ること10年前

政治力のある私は、楽しいこと好きなエピキュリアンな女友達を渋谷の某大病院の精神科に呼び、面白いパフォーマンスやるから遊ぼう、俺のメイクしてくれよ。そう頼みました。アングラ劇団みたいに眼帯、全身包帯ぐるぐる巻き、目にはアイシャドウ。診察になり名前を呼ばれると私は無言で診察室に入り。Dr.は私を見てもポーカーフェイス。「包帯の巻き方が実際と違いますよ」と冷静に一言、続けてDr.は「最近生活の調子はどうですか?」と問診、私は無言でおもむろにラジカセをとり出してカセットテープで録音されてた音声をスタートさせる「……..ソウデスネ、サイキン、チョウシハ、ヨイデスヨ……..」前もって録音されたもので質疑応答。Dr.は私に「病院を表現の場所にしては駄目ですよ」とやんわり、たしなめられた。飲み屋の店長やら、周りの友達は私の酔狂に嬉々として大笑い。写真で記録に残した。僕の人生は生き方は幼少から変わってない、こんな感じ。コミック雑誌なんていらない。皆、僕は駅の電車の吊棚の漫画本、駅の漫画は喜ばれるが皆、ありがとうと家庭に戻って行き漫画本はゴミ箱に捨てられる。人間のエネルギーは有限だ、幼少から適応出来なく、身過ぎ世過ぎ食ってけるでもなく、道化演じて荒れてない奴はイカれてる。1人の死は悲劇だが100万人の死は統計学になる、悲劇は近景、喜劇は遠景。僕は幼少から全てに適応出来ない境涯に怒ってた。幼少時代からたくさんの恩師は「あなた将来大変なことになるよ」と、内心(先生知ってます、でも抗えないんです)と思ってた。【わかってくれとは言わないがそんなに俺が悪いのか?】何かエネルギーだけはあった。今回、心のアート展。こんな生き方しか出来ない奴が過去に居た、その記録が出せれば少し痛いのが麻痺します。マリー・アントワネットが終末、死刑執行人の足を踏んでしまった。今際の際の言葉は「わざとでは、ないんですよ」だったそうな。

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