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『カタルシス NO.12』

2021年10月、最後の『カタルシス』が終わり手を離れていった。12枚目の梱包を終えた時とても切ないような、何かに終止符が打たれたような、心のどこか一部分が空になったような感じがした。描きたくてどうにもならず描いたが、だんだん描いていく事が日常になり、食事や寝る事と同じ様に描く、生活の一部分になっていった絵だった。

それは20年前の不思議な体験から始まった。

何でここにいるのだろう、窓の向こうの明かりをぼんやり見ていた、、、、消えてしまいたい、、、、ひとりでいる事が苦痛なのではなく、ひとりでいる事を嘲る人々が苦痛なのだと、まるで人形のように抜け殻だけがそこにあった。そのとき突然とても高い何処かから重い何か塊のようなものがストーンと降りてきて身体に入った、、、、かと思うと、あっという間に身体の外側へジワジワと広がっていき、消散していった、、、、、一瞬の出来事、不思議な感覚。その感覚が、どこにもやり場のない鬱積した感情と重なり、どうしてもそれを描かなければならないと思った。

さて、どう表現するか、服はいつも身に着けているもので感情が焼き付いた影のように思ったので、実際に着ていた服を直接紙にのせて縁取りをし、周りだけを描いて表現しようと決めた。画材は、空気のうねりを表したかったから細かく繊細に描ける画材がいいと思い、木炭など試したが直ぐ塗れてしまう為この画には不向きで、空気に思いを込めるには鉛筆がいいと思った。6B〜9Hで隅々まで描き、中心部は白紙のままにした。1枚では描きたりず、12枚描く事にした。

ただ、グルグルと手を動かしているだけで、黒い何かから解放されていくかのようで、生きている生かされている、魂がうごめいた。

9枚も描くうちに鉛筆の雰囲気にも変化があり、画に入り込む感情にも変化があり、始めの頃のどうしても描かなければという強い想いがやわらぎ、いつも描く日常へと変わっていった。もうそろそろかな。12枚目を終える頃には画から気持ちも離れていくようになっていた。

今、カタルシスのシリーズが終わり、きっと浄化されていったのか。ひとつの生き方が終わったような安堵と静寂そして空虚がここにある。

 

『ひとはだの呼吸』

ああ、、、、つまらない

今日もまた、洗って、畳んで、洗って畳んで、お返しして、

汚れが染み付いたシャツ、よれよれのズボン、すりきれた下着、履き口のゴムの伸びた靴下、ほつれだらけのタオル、つぎはぎしてあるブラウス、のびきったエリ、毛玉のセーター、気に入って着てるのか、それしか無いから着てるのか、着心地が馴染んでちょうどいいから着てるのか、新しいシャツにまぎれて古いシャツもある、なぜ捨てないのか、汚れた衣服を洗って、たたんで、またたたんで、せんたくの山が、1人分、2人分、、20人分、、、と、それぞれ山に積みあがっていく。それを、ちょっと描いてみた。

積みあがった山を描いてみた。

つまらない作業に飽き飽きしてたから、なんとなく描いて、ずっとながめて、ますますボロボロのシャツの細部まで見えた。そして、その先の細部まで見えた。その人の生きてきた時間、今、生きているという証し、昨日着てたシャツ、明日も着るシャツ、きっと思い出のあるブラウス、その人とともに生きてきた服、生きている服、呼吸をしている。

おもしろい、すばらしい、ここに何かがある。なんだろう、描いて、たたんで、おかえしして、またたたんで。毎日毎日くりかえし。描いて、たたんで、おかえしして、あらって、たたんで、おかえしして、またあらって、たたんで、おかえしして、また、、、、ない。ネームプレートをゴミ箱に捨てる。名前に修正テープで線を引く。何もなかったかのように。また今日がはじまる。あらって、たたんで、おかえしして。

私は老人ホームで洗濯と清掃の労働をしている。もう7年もやっている。いつの間にか、淡々と、毎日毎日くりかえし。今は更に忙しくなって描く暇さえ無くなったが、あらって、たたんで、おかえししてをくりかえしている。今日も、その人、あの人のもとへお返しする。明日も、明後日は、、、、。今、ここに生があって、着ていた物にその人の人生がしみついている。長い長い人生が。どんな想いが。その人とともに今、ここにあるせんたくの山。

洗濯の山。今日もまた洗って、畳んで、お返しして、ああ、、、、、つまらない。

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