私自身の心の病と私の絵を描くことは、随意並行しての半涯であること。私はその根源を探り、ここに書く事にした。
母愛子は、杉野ドレスメーカーを卒業して、洋裁を営んでいた。器用な人で、気性が激しかった。その生涯は派手で波瀾万丈であり、私を虐待した母であった。家に小姑・伯母花柳寿輔直門花柳千寿治によって私は歌舞伎の桧舞台に立ったのが2才半からの事であった。歌舞伎子役として活躍した。その現在の絵の色彩と音は、歌舞伎の華やかな、衣装、化粧、かつら、ライト、舞台美、長唄、おはやし、三味線、台詞、物語、音響が私の世界に生った事は言う迄も無かった。私は演劇に力を注いだが、父の反対を受け、徐徐に絵かきに生きることを黙示した。母の虐待、学校での苛めに遇い、私は精神をさ迷わせ、死に瀕する、大病に見舞われた。それでも絵を共にしての生活をしている。現在落ち着いて脆弱ながら絵の発表へと繋げている所存である。