16歳頃から絵を描いていこうと志すようになった。その後、絵を描ける生活のためにタクシードライバーなどの仕事を経験する中で発症し、入退院を繰り返して40年近く経つ。入院していたある日、20年の長い入院生活の中で描きためた絵を処分しようとした時、ソーシャルワーカーから院内の〈造形教室〉を紹介された。以来、描き続けている。人に認められようが認められまいが、そんなことは度外視して、“これが俺の仕事なんだ”と思いながら描き続けている。
コラボレーション
ステンドグラス作家・野口均さんが石原さんの絵に刺激を受け、長年の技術を駆使し、限りなく原画に近いステンドグラスを制作。感性と感性の交流、交感から、もう一つのアート作品が生み出された。