「私が造形教室にたどり着くまで」
私は高卒でガス会社に入社してから12、3年経ったころ、軽うつで神経内科に通院していましたが、そう状態やいろいろな症状があった後、ちょうど厄年の32歳頃突然降って湧いたように妄想のような症状が現れ、別の精神科病院に転院し、通院で治療していました。その時の診断では分裂病だったのですが、その後強迫性障害に移行し、担当医の移動に伴い、近所の個人クリニックに移転後症状が悪化し、体重が32kgになり、栄養失調状態で、やむなく元の病院に入院。一年半ぐらい後、森田療法を行っている慈恵第三病院に入院し、入院中はとても調子が良かったのですが、6ヶ月入院後元に戻ってしまい、そのまま慈恵に通院治療で通っていました。2001年7月頃、入院で知り合った女友達のストーカー行為にパニックを起こし、平川病院を紹介され、入院となりました。
入院半ば頃、いつもつるんでいた男友達のうち一人が退院することになり、もう一人の男友達が退院祝いの花吹雪を作るために煙草室にあった雑誌をちぎっていたのを見て、「花吹雪なんだから、きれいな色を選びなよ」と言って私もちぎっているうちにハタ!と以前調子がまあまあだった頃通っていたアートスクールでやったコラージュを思い出して、それを作って退院祝いに渡そうと思いつき、やり始めたのがきっかけとなり、創作意欲が湧いて朝4時半に起きてナースセンターの灯りの下で作っているうちに他の患者さんたちからも注文がくるほどになってしまいました。その頃に、この病院にはOT(作業療法)のほかに、造形教室があり、安彦先生がいらっしゃるというのを知り、作品を観てもらったところ、「是非いらっしゃい」と言われ、それがこの造形教室との出会いとなりました。退院後もこの造形教室に通い、ユニークなメンバーの方々とも仲良くして頂き、この教室に通うのが楽しみになりました。私は寝ているとき、強迫観念に襲われないため、1日15時間位をベッドで過ごし、煙草を吸っている時だけが唯一の楽しみという生活が発病以来続いていて、母親にも「アンタはただの生き物」と言われていましたが、一年程前新薬のセロクエルを飲み始めてから朝早く起きれるようにはなったのですが、それでも心が死んでいる状態でした。
ところが、造形教室に通うようになり、作品を創作して出来上がると、何か私も“生きているんだなぁ”と実感できるような気がしてきました。私にとって創作は「生きること」のように感じられます。創作過程を見てもらう事も私にとっては「生きている証」の様な気がします。安彦先生のアドバイスで、初めて30号の大作を創り、都民展に2001年初出品し、以来、毎年出品し続けています。
もし私が病気にならなかったら、もし平川病院に入院していなかったら、もし友達が私より先に退院しなかったら、もし花吹雪を作っていなかったら・・・と思うと、ここで正に安彦先生のおっしゃる「シンクロニシティ=共時性」を実体験したのです。
今では、安彦先生と造形教室に出会えたこと、都民展に入選したことも含めて、入院のきっかけとなったストーカーの女友達にも感謝しています。
現代社会は、文明は非常に発達していますが、心の文化は現代社会に追いついていないと思います。今回の展覧会を一人でも多くの人に観てもらって癒され、心の文化を高められたら良いなと思っています。