これまでの展覧会

作者一覧 心のアート展

2002年、八王子市中央図書館で開催された「第10回“癒し”としての自己表現展」では、オランダから届けられた障害者の人たちの作品と高橋悠一さんの作品を特集展示した。

高橋さんは2001年9月4日、自宅で急性心不全のため亡くなった。

高橋さんはその日、数週間ぶりに東京足立病院の「造形教室」に姿をあらわし、絵を描いていった。その時、彼から、自宅にも100点を超える作品があることを知らされ、私は期せずして「それは是非、まとめてみたい。写真に撮って手製の作品アルバムを作ってみては?」と提案したのだった。そして翌年の「“癒し”としての自己表現展」で特集展示をしてはどうかと提案し、彼は賛成、快諾してくれた。

その翌日の夕方、彼の弟さんから私宅に電話があった。なんと「兄が昨夜、病院から帰宅してから数時間後になくなりました」。「まさか!?」という驚き、衝撃が突き上げてきたが、次に「そうだったのか」という、ほとんど確信に近い想念が閃いてきた。

彼自身、自分が死の間際にあることなどさとり知ることもなく、私に訣れを告げにきていた。私もまた、そんな重大事が彼に迫っていたことなど全く感知することもないままで、今までの作品全部をまとめて作品アルバムを作ることと、次回の展覧会で特集展示することを提案していたのだった。神のみぞ知る、と言うが、人知では計り知ることもできない自然の摂理、生命の力のもう一つの存在を思い知らされた。

ふと思う。自分のやることなすこと、全部自分で知っているつもりなのに、自分の判断、意思など、はるかにとどかない真底の自分というものがあるのではないか。まったく突然、偶然にやってくることのように思われることでも、そこに至るさまざまな伏線、一つではない複数の原因となるものが潜在しているように思える、と。あの時、私たちは、彼が27才で入院した時から、絵を通した長い交流、交歓の、最終の応答をしていたのだろう。

展覧会間近の土曜日、私は高橋さんの家を訪れた。居間には150点の油彩がぎっしりと縦に並べて用意されていた。一枚一枚ていねいに観ながら、80才近くになるお母さんとすぐ下の弟さんから、悠一さんの56年にわたる生涯の思い出、エピソードをたくさんお聞きした。悠一さんの絵にはさり気ない日常的な情景の中に、懐旧の情、夢、空想の心象風景が時間空間を超えた二重像のように描かれているように私には思える。悠一さんは、私の座っているこのソファーで、レコードを聴きながら、そのまま永眠の途に就いた、という。なんの苦しみもなく、平安な別れだった、という。

(安彦講平)

(『心の杖として鏡として-“癒し”としての自己表現』より)

TOPに戻る