「非芸非商の人」
アートはけっしてビジネスにしてはいけないし、流行やコマーシャリズムと断絶しなければ、それは芸術に達することはない。
僕の絵の先生は親鸞である。生涯を非僧非俗の立場をつらぬいた思想に強くひかれた。
現代アートは、ゆるいアイディアにヘタなイラストが主流であったが、それにみな飽きて来ているようだったから、アートには、確信をもった造形をぶつけて行くべきであろう。
単なるギミックでしかない会田誠や、単なる商売でしかない村上隆。彼らがアーティストならば僕はアートを拒絶する。
僕は芸術家集団ajt(アジト)に属する作家だ。「お金にならなければアートではない」と村上隆が言った。僕の仕事はすべてお金にならないことばかり。だから、僕は、のちに「アジトサイダー」と言われるだろう。
2018年・記
「山本弘へのオマージュ」
僕は今年52才になった。考えれば山本弘が自死したのが51才だ。もし山本弘が長生きしたならどんな絵を描いただろう。52才、山本の見なかった風景を見るコトができる。山本の見なかった造形を僕は見せられるか「?」
僕は45才で野見山暁治空間を超えた。
僕は50才で深沢軍治空間を超えた。
事実上、日本一になってしまった僕は、困ってしまった。目標を失って絵を描く意味を失いかけた。そして、気がついた。
山本弘だ‼
山本が70才、80才、90才で描いたであろう、前衛絵画を僕がかわって描いてやろう。
僕の眼の前に山本弘が走っている。その背中に向って僕は走るしかない。
2017年・記