これまでの展覧会

テキスト 心のアート展

「心のアート展」は2009年に第1回展を創始、以来、ほぼ隔年每に開催、今回、第6回展を迎える。

第1回展以来、本展がめざし試行してきた独自な課題、主張に基づいて、その回に結集した作品群を総観し、そこに結晶・結実した質・実にふさわしい表題を創案し掲げてきた。

今回「臨“生”芸術宣言!」と提唱。臨床を臨“生”、つまり「床」を「生」に、そして「生」の文字を“”で囲った意図について語ろうと思う。徐々に述べるが、「床」を「生」にしたのは、単に「床」を切り捨て、「生」に置き換えたのではない。「臨床」から「臨“生”」への経緯を思考して「床」の文字を再び熟視し、そこに内在している重層的な意味を探り出し、単一的な解釈を越えて臨床〜臨“生”~「臨床」へと、往還していくということである。

従来、「臨床心理学」「臨床病理学」など、「臨床」という冒頭語は医学、医療の領域の専門用語として普遍性を持っている。病気、障害、老化など、心身の病苦、老いや衰えなどに遭遇し、治療や援助を求める人々に寄り添い、援助、看護、治療などをほどこしてあげる。まさに臨床は、床に臥している病者、障害者、衰弱してる人の治療、援助をしてあげるという立場、関係を意味し、担っている。

誰もが無病息災、生涯健康、無難無事…、至福の人生を全うしたい、と願う。けれども、まさか、どうしてなど、この自分が思いもかけない病気や災難に遭遇し、苦しみ、絶望のどん底に落ち入ることをまぬがれないのだろうか。生命の営みとは、生老病死――生誕、成長、老化し、やがて死への生命過程を辿る。思いがけない病気、障害に罹り、痛みや苦しみに身をもって向き合い、凌いでいくことこそが、生命の営みの真実、深淵を語る。

自然はあらゆる生物を生み出し、生存のための限りない恵みをもたらし、人間を含めた全生物の生命の営みの豊潤な場である。しかしその反面、自然は想定や予防ができない災害――地震や台風、津波、火山噴火など、甚大な被害をもたらしてきた。

生命の営み――幸と不幸・苦しみ。

天然自然――豊穣と災厄。

人類生誕以来、人間的知性や技術は絶えざる進歩発展の成果を創り続けてきた。生命の営みの深淵は、まさに光と影。尽きることの無い、未知未開、深淵の世界である。

さて冒頭に掲げた「臨床」と「臨“生”」を再び見直してみよう。ここにおいて力ある者が床に臥している病者、弱者に、上から手を差し伸べ、援助してあげるという関係や状況が逆転し、固定的な健常と障害、あるいは強者と弱者という一方向的な上下の関係、序列が解体される。思いもかけない災厄に遭遇して、身をもって苦しみ、凌いでいる人たち――当事者が引き受け、健常な自分たちは免れている生命の未知未開の深淵の一端を目の当たりにし、いま現在、健常でいる人たちは教えられ、助けられ、鍛錬されている、と言えないだろうか。

「床」は、下部、地面という意味を指すと言うならば、大地、命の心底から逃げ惑い、浮遊している者が地盤に立つ人――当事者から見上げられている、という方位が逆転して、床――地に根ざし、生命、天然自然の営みの全容の一端を生き、体現している人たちを指す言葉となる。ゆえに「臨床」は天然自然の大地、生命の真髄に根ざしている位置、境遇を超え、あらゆる“生”の全体を眺望している、といえるのではないだろうか。

私ごとになるが、私は精神科病院内で1968年から患者さんと共にアートの活動の場を創り、現在に至る。未完、終わりのない、毎回毎場、一回性の自由舞台のような時空間。病院内での“療法”でもない“教育”でもない、それぞれが行動の主体となって自己表現の活動を通して、自らを“癒し”“支える”場。半世紀の星霜。自分にとって、かけがえのない必要な場として通い続けてきた人たちがあってこそ、病院内での特異な活動が生成され、継続し、続けられてきた。そこで創り出される作品は、既存の表現のどんな枠、類型にも収まらない、一人一人、独自、独創、そして一人一人の表現も日々、変化・変遷し続けていく。

自分でも信じられない、認め難いが、齢、80才。今や私にとってこそ〈造形教室〉はかけがえのない必要な場。

「さて、今日は誰と誰、どんな思いを抱いて来るだろうか…。」「どんな出会い、交流交感が醸し出されていくのだろうか…。」などなどと思いめぐらせて〈造形教室〉へと向かう。

今回、〈造形教室〉「関根正二」と〈特別上映〉『ニーゼと光のアトリエ』の映画上映が企画、実現された。

貧困、病苦、そして20才2ヶ月という辛苦な境涯の中で、渾身こめて創り出された鋭利、繊細な関根正二の作品を前に、「信濃デッサン館」(村山槐多、関根正二、靉光、松本竣介ら、夭折した俊英の画家達の作品を所蔵、展示)、「無言館」(戦没画学生慰霊美術館)の館主・窪島誠一郎さんと私と、それぞれ自らの境涯を軸に“生きる・病む・表現する”について語り合う。

そして、『ニーゼと光のアトリエ』は1944年から、ブラジルの精神病院の中で隔離収容、強制的な治療環境に置かれた患者に自由な絵画・造形表現の場、作業療法センターを創り、全身をかけ戦った女性精神科医、ニーゼ・ダ・シルヴェイラの臨床現場での存在は、時代、国境を越えて、私たちに大きな教示と力を与え続ける。

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