今回、テーマである「臨“生”芸術宣言!」を胸に抱いて審査に臨んだところ、「生きようとする意志」「生き生きとした生命力」「湧き上がってくるもの」を感じる作品が沢山ありました。
「臨生芸術」とは、生み出された結果を今までの芸術とするなら、「始まりとしての芸術」と言えると思います。
ある出品者は、今、在ることを叫び、声を上げて…そこに自分が生きたことが残っている。
又、ある方は、周りを塗りつぶすことで人間が浮かび上がってくる。又、ある方は、自分の食べたもの、吸ったタバコのパッケーシに想った物を描くことで存在の痕跡が残る。
又、ある方は、身内を亡くし、その想いを深く味わうために描く。
作品が生まれるところ、生み出されるところに意味があり、それは生命の営みとして一日一日「描くこと」と「生きること」が常に進行形で一致している。
あたかも、縄文土器が煮炊き保存の機能とは何の関係もなく、祈りが込められた素晴らしい図柄が施されて器となるように「臨生芸術」は生まれています。
芸術が「芸術」として独立する前に人と生活と造形が一致していた時代があり、私は「造形する生活」こそ人間の必然であると思います。
今回、〈特集展示〉として関根正二の作品が展示されますが、正に彼も生活と造形が一致した生き方をした人だと感じます。
私は多摩美術大学日本画科の学生だった頃、日本の美術の在り方に疑問を抱き、デュビュッフェの作品と出会うことによって一つの解答を得るような影響を受けました。2010年から東京足立病院の<造形教室>に通い始め、安彦講平先生とメンバーの皆さんとの関わりによって生み出される作品に触れて、デュビュッフェの提唱したアール・ブリュット以上に心を動かされました。昨年、今回の「心のアート展」の運営委員会の場で、「臨“生”芸術宣言!」というテーマが全員一致で採択された時は大きな歓びと「新しい芸術」の始まりを感じました。
変動する時代に「心のアート展」が展示会を超えて時代の変革の役割の一助になったら、と願っています。