これまでの展覧会

テキスト 心のアート展

排外主義を掲げる大統領がアメリカに誕生し、またヨーロッパでも移民の排斥を主張する極右政党が票を伸ばしている。日本では昨年、相模原で障害者の殺傷事件があったことも記憶に生々しい。こうした現象には複雑な要素が様々に絡んでいるだろうから、短絡的で単純な見方は慎まなければならないとしても、世界全体の風潮として、自らと異質な人間を排除しようとする空気が蔓延しつつあるのは、どうも確かなようである。

しかし言うまでもなく、人間の生は、異質な「他者」の存在によって、より豊かにされうるのだから、他者の排除はその人の生を貧しくするのみだろう。自分とは異なる人間がいるのを認めること。他の人間が自分と違う部分を持っていると同時にまた確かに同じ部分も共有している、その違う部分と同じ部分とを同時に確実に受け止めること。他者との「違い」から何かを学ぶということがあるのと同時に、「違う」他者がいるからこそ、自分も存在していられるのだということ。これらの感触をしっかりと捉えることが、今まさに重要なのだ。ところで、こうしたことを感じ取るのに、美術というメディアほど、格好のものが他にあるだろうか。

今回「心のアート展」に出品された作品たちに、触れる、ということは、私たちが、これらの作品の作者たちの生き方と存在に、「臨んで」いる、ということである。作品に臨むことは、これらの人々の「生」に「臨む」ことなのだ。そうすると、これらの作品自体が、作者たちの存在にぴったりと寄り添い、「生」に「臨んだ」形で生み出されてきたものなのだ、ということが分かってくる。そして、私たちの生の在り方そのものが、こういった他者たちの「生」に「臨む」ことで成り立っているのだ。――こうしたことを確認できるところに、この「心のアート展」が開催され続けていることの意義が、あるのではないだろうか。

今回の展覧会でも、その「違うこと」と「同じこと」、「生」に「臨むこと」の意味をよく感じ取らせてくれる、多数の作品が出品されるはずだ。そのことを、観ていただける観客の方々とともに、楽しみたい、と同時に、素直に喜びたい、と思う。

TOPに戻る