この自然界には“芸術的”と呼べるものが数多くある。砂漠における砂上の風紋や氷河が作り出す雄大な景色、宇宙から眺めた地球上の氷や海流、または森林の緑などが織り成す様々な模様など、はっと目を引く光景が沢山認められるし、もっと身近なところでは夕焼けや朝焼けなどの空の色や雪景色、様々に変化する雲の不思議な形等々、いろいろある。マクロやミクロの世界に目を広げれば、銀河や星雲の作り出す雄大な世界や土星のリング、綺麗な六角形を形作る雪の結晶だってそうだ。でもこれらは“芸術的”ではあっても“芸術”とはいわない。人間の力では及びもつかないような大自然が織り成す素晴らしい造形美であっても、これらは(神が創生したなどと言わない限り)意図的に作られたものではないからだ。「一定の材料、技術、身体などを駆使して、観賞的価値を創出する人間の活動およびその所産」が芸術(『広辞苑』)だとすれば、そこには必ずその作品を産み出した人間の明確な意図が存在する。それは直感的な心や感性の反映であるかもしれないし、細かいところまで計画的に練られた作品であるかもしれない。大道芸や舞台上の演劇、映画などにも芸術といってよいものが少なからず存在するが、これらを動的なものとするならば、対する静的なものの代表が絵画や造形などの美術といえるのだろう。このアート展の対象は勿論、後者のほうである。
絵画や造形などの“固定したもの”では、その作品をじっくりと眺めることができるが、これとて、観る角度やその作品の周囲・背景、(展示されている)環境などによってその印象は大きく変わる。そして勿論、それらを観る人の感性やどこに惹かれるかも人によって異なるのが当然である。各々の人間の価値観や価値判断、評価基準や感性などが(似ているようであっても)すべて異なることを考えれば、同一作品に対する見方・感じ方は、恐らく一人ひとり全部違うのだろう。また、作者の背景(どのような方か、どのような立場か、心の問題は?)などを知ることで、作品に対する印象はさらに変化する。
専門家が厳しい眼で観る立場もあろうし、(観客の大半である)素人が“何かを感じる”視点というのがあってもいいが、玄人、素人の多くに”何か”を感じさせるのが“芸術的な”作品なのだろうか。
私は、第1回のアート展開催に際し、心の病や問題を抱えた方々の素晴らしい作品に対し「凡人にはない大胆な発想」「凡人にはない素晴らしい感性」という言葉を用いたが、前記のような、観る側の様々な視点を踏まえたうえで、それらの多くを惹きつける作品が、より芸術性が高いといえるのかもしれない、などと考えたりするのだ。
第2回「心のアート展」を、じっくりお楽しみいただけると幸いである。