出逢いはまさに衝撃的であった。それは今から約20年前、大学院生だった頃のことだ。当時の私は、もう自分の感性はすっかり死んでしまったのではないかと思っていた。真の芸術を求め美術館やギャラリーなどに頻繁に出入りし、アートと言われるものにまるで囲まれるような学生生活を送っていたが、そこに肝心の芸術性をちっとも感じられなくなっていき、ただただ無意味なものがそこかしこに転がっているようにしか思えなくなっていた。そんな数年を過ごしていた。
芸術に関することだけでなく色々な事情が重なっていたこともあるが、その頃の私の心は、まるっきり閉ざされ、孤立し、硬直しているかのようだった。そんな心が久しぶりに震えたのだ。こんなに感動し魂が揺り動かされるような体験をしたのはいつ以来だろう。こういった表現こそが、自分が探し求めていた芸術だ。ここにはそこかしこに得体の知れない野性的ともいえるむき出しのエネルギーを持った本当の芸術がある。瀕死の感性に生命エネルギーが注がれ、生きる糧をいただいたような、再生したような、そんな心持ちだった。
そんな訳で〈造形教室〉に出逢ったことは、自分の人生がひっくり返ってしまうような出来事となった。その後、ボランティアとして手弁当で通い続け、やがてアルバイトにしてもらい、そのうち院長から〈造形教室〉専属の常勤スタッフに採用していただき現在に至るが、あの時の心が根こそぎ揺さぶられたような感動は今も忘れられない。安彦先生とメンバーたちによって醸し出されるなんとも自然で、それでいて創造性にあふれた場の空気。収蔵庫に収められた、とんでもなく“生(なま)”な表現の作品群。人間という生命体が持つ奥深さと神秘が、そこかしこにキラキラとしているようだった。
2005年に〈造形教室〉の活動を記録したドキュメンタリー映画が作られ、全国各地、時には海外でも上映があり、特定の領野においては〈造形教室〉は知られる存在になったようだが、私が出逢った当時は今のようには知られておらず、こんなにも芸術性にあふれる活動とそこから生み出された素晴らしい作品の数々が世に知られていないことは驚きであった。作品たちの一部はたまに展覧会に出品されることもあったが、基本的にはただただ精神科病院の倉庫の中に眠っているのが常だった。そのことが密かな感じでうれしいような、しかしやっぱり悲しいような、それでいてちょっと悔しい気持ちも入り混じったりしてと、言葉にならない複雑な気持ちがないまぜになって心の底にあった。そしていつの頃からか、うち以外の病院にも、世に知られていない表現者たちがきっとそこかしこにいて、その作品がひっそりと院内の片隅で眠っているに違いない。是非ともそういう表現に出逢ってみたい、探してみたいという思いを持つようになっていった。
そんな念が何かを引き寄せたのか、この「心のアート展」に立ち上げの段階から関わらせていただいている。きっとこの展覧会を非常に楽しみにしている人が何人もいるのだろうと思うけれど、私自身、本当に楽しみにしている一人であることは自負できる。初めて〈造形教室〉に出逢った時のような感動を、毎回の展覧会開催のたびに味わわせていただき、生きる糧を得ているのだ。今回、コロナ禍という経験したことのない困難に直面しながらの開催となるが、こんな時代を生きてしまっている今だからこそ、ここに集まった表現から感じ入るものも多いのではないかと思う。観にいらっしゃった方々の目にはどのように映るのだろうか。心に何が響き、残っていくだろうか。是非とも感想をお聞かせ願いたい。
ところで今回、特集展示として当展覧会の審査員の一人であり、〈造形教室〉を主宰する安彦講平先生の50年以上にわたる精神科病院内での芸術活動の軌跡を紹介することとなった。精神科病院が隔離、収容施設としての意味合いが色濃かった時代に病院内で患者さんたちと自由な表現の場を創り、自然発生的に現在の作業療法やデイケア、ナイトケアや外出レクの走りのようなことを次々と実現していき、社会の偏見がいまよりも頑なだった頃に、公共施設での展覧会を始めたり、影絵の上演をしたりということをしてこられた。
その当時の日本で、影絵のスクリーンを隔てて患者さんたちが自分たちの創作した「影」を用いて演じているという行為、光源から発せられる光とそこに立ち現れる影、スクリーンから透過された光が闇に包まれた鑑賞者を仄(ほの)かに照らす光景は、社会や世相を逆照射するような試みであり、同時代のアート作品と比してもかなりの強度を持っていたのではないかな、と思う。
また写真資料とともに当時の方々の話を聞くと、年に一度の「丘の上病院」での文化祭「丘の上祭」はさながらコンテンポラリー・アートの展覧会の様相を呈していたようだ。当時のアートシーンが、まるでアートのためのアートのような陳腐なもので溢れかえっていた頃に、なんとすごいことを人知れずにやっていたのかと驚嘆する。こういうことこそ本当の現代アートなのではないだろうか。個人的にはこれらの取り組みは、医療や福祉の分野はもちろんだが、アートとしても評価されていいのではないかと本気で思っている。
安彦先生の傍で〈造形教室〉の活動に携わって約20年。おそらく〈造形教室〉の根底には常に、安彦講平の世界観、人間観がブレることなくあったように思う。その思想、哲学は机上の空論ではなく、たえず実践の中で模索され、時に挫折を味わいながら鍛錬されていったのだろうと思う。私が、安彦先生のことを本当にすごい人だなと思うのは、そういう実践の人だからだ。素晴らしい理論や考えを持った人は、きっと世の中にたくさんいるのだろう。ただ、どんなにすばらしい世界観、人間観があったとしても、実際にそれを持って人と接し、生きていくということは、なかなかできることではないように思う。言うは易く行うは難し、である。
安彦先生の軌跡には本当に「奇跡」のようなことが大小たくさんあり、その活動の奥深さと拡がりは、とても今回の展示だけで紹介し尽くすことは到底できそうにない。まずは第一弾として今回、限られた準備期間と、限られた展示スペース、予算、人力を持って紹介させてはいただくが、出来れば是非ともどなたか改めて「安彦講平」展を開催してもらえないだろうか、と思う。その際にはもちろん私にできることは全面的に協力させていただきたい。