これまでの展覧会

テキスト 心のアート展

第8回「心のアート展」は、昨2021年に開催予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大によって、開催が一年延期された。この発表の機会を楽しみにし、心の支えとしてきた方々には、辛い1年だったであろう。いや、それよりも何より、この「コロナ禍」の日々、一般の人々にとってさえ辛い日々であったところを、精神疾患・精神障害を抱えた人々にあっては、それにも増してどんなに辛い日々であっただろうか。

危機の時代に、ある問題が顕在化するとすれば、その問題は、危機が生じる以前に社会に存在していたものが、よりデフォルメされてあらわれでたものだ、といいうるかもしれない。だから、コロナ禍にあって感じられた「生きづらさ」は、実は、それ以前から社会に蔓延していた「生きづらさ」のありさまを、より浮彫りにしたものだ、と考えることもできそうである。

一見ますます便利に、快適になっていくように、あるいは、より進歩した考えが浸透していくかのように見えているこの社会が、同時に、多くの人々にとってますます「生きづらい」ものになっていくように思われる、ということは、そもそもいったいどういうことなのだろうか。たぶんそれは、この社会がますます「効率」を求める社会になっている、ということに由来するのではないだろうか。すべてのことに「便利さ」と「快適さ」を求めるために、その行われることの「効率」が常に問われる。しかしこの順序はどこかで逆転し、人々の心や精神といったものへの配慮がいつのまにか亡くされ、効率がよいこと、経済的であること、そのことが自己目的として至上価値となっていき、こうした原則によって、社会のシステムが動いていくことになっていく。

ひとの存在や心といったものはそもそも効率で測れるものではないに関わらず、社会がそうした物差しによって動いていくために、いつしか、ひとの心は行き場を失うのではないだろうか。

私たち、アートに携わる者は、アートは「効率」ではない、と信じたい。効率からはずれ、社会における一般的な物差し、読まなければいけない「空気」や同調圧力、そんなものからも開放され、ひとにはそれらでは測れない価値の存在があり、それを表現し、そのことを他のひとにも認められ確認しあいたいという欲求がある、ということ、そういうもののさまざまな現れ方が、まさにこの、「心のアート展」に集まっている、といえないだろうか。

コロナ禍を経た今回の展覧会も、以前にもまして、さまざまな「心」のありかたが、素晴らしく、眼にみえる形で、提示されている。いつもながらそれらの作品が並ぶ壮観には、目を瞠らされる想いである。1年の開催延期を経た今回の展覧会でも、そうした作品たちに出会えることを、心から喜びたい。

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