今回の審査に当たって皆で考えたテーマ「境界を越えて —生の原点に還る—」を反芻して審査に向かおうと考えてみました。このテーマは私が関わっている東京足立病院〈造形教室〉で自然に行われていることで、この風土の中で作品が生まれています。
改めて思い返すと、私は2001年の脳腫瘍切除の手術の後遺症による左半身麻痺からの回復の時期、この「生の原点」から画家としての活動を復活させることができました。毎日行うこと、考えることを少しずつ続けて行くならば誰でも「生の原点に還り」生きる力を取り戻すことができると思います。それぞれの創造的な造形や音楽を続けて行くことは「生きる」ことであり、「生の原点に還る」営みだと感じます。
その意味でテーマ「境界を越えて —生の原点に還る—」と審査が一致して行われたと思っています。
造形活動を支えているものは心の奥の方に存在することを実感しています。
20歳の頃、岡本太郎の本を何冊か読み、興味深く心に残りました。岡本太郎は縄文時代の美術は素晴らしいと評価していましたが、その頃の私は芸術に対しての憧れがムンクやミロやマチスだったので本当の意味では理解できていませんでした。縄文時代の作品を芸術作品とはとても思えなかったからです。私が小、中、高、大学校で習った美術の始まりは弥生時代以降からでした。縄文は弥生以前の発掘物(考古学遺物)に過ぎず、美術の範囲に入らないと教わっていました。一番印象的だったのは岡本太郎が「私が縄文を発見した。」と言っていたことです。「考古学者でもないあなたが、どこで発見したのですか?」と記者に聞かれた時、岡本太郎は「国立博物館で美術品としての縄文を発見した。」と答えました。それがずっと私にとって考案のように心に残っていました。
脳腫瘍切除以来、特に東京足立病院の〈造形教室〉で安彦先生と皆さんの作品に関わる内に毎日が〈境界を越えて・生の原点に還る〉になってくると同時に、自分の中に柱のようなものができてまいりました。そして再度、岡本太郎の文章を読み返した時、しっくりと自分の中に理解し共感できる形で東京足立病院〈造形教室〉と重なりました。「心のアート展」で審査をすると、どの作品も同じ原点から始まっていることを感じます。「境界を越えて —生の原点に還る—」とは、古来から脈々と流れる造形の心と繋がっているのではないでしょうか。全く現代と基盤も表現も異なる縄文時代の作品群が、現在の私たちが目指すべき未来の兆しになってきたように思います。縄文時代の初期の頃から中期ごろまでは、農耕をしてないので自分の土地もなく、私有財産を持たず、「国」というものもなく境界があまり存在しなかったと言われています。それでも文化レベルは4大文明にも匹敵したと言われる縄文文化を生きていた人々の魅力が岡本太郎の心を掴んだように「心のアート展」の出品者の作品が私の心を掴みます。1枚1枚の作品はそれぞれに素晴らしさを放っていますが、芸術劇場のギャラリーにそれらがまとまって展示されることでどんな世界観が感じられるでしょうか。毎回「心のアート展」の展示は来場した人に、全体を作品として見せる工夫がなされています。それらも併せて審査された作品の響き合う世界をお楽しみください。