第4回「心のアート展」が “それぞれの感性との出会い“の副題を標榜して実現されようとしている。
東京精神科病院協会が患者さん達の作品展を企画、提案、構想して「心のアート展」第1回展が2009年4月、公共のギャラリー、池袋 <東京芸術劇場>で開催された。以来、毎回毎回、幕開けまで、期待と願望、予期不安の綯い交ぜの渦中、精根こめて作品選出、展示準備、会場設営して公開に漕ぎつけてきた。
予想を越えてさまざまな領域、多岐にわたる多くの人達が来場、鑑賞。実作品を前にし、作者、審査員、実行スタッフと共に語り合うトークイベントではつぎつぎと熱い思いをこめた発言が交わされて行った。
——予想を越えた多彩なテーマ、表現のスタイルもそれぞれに独自性が込められている。表現スタイルも独特、何よりも作品から伝わってくるパワーにー圧倒された
——この会場に来て、アカデミックな芸術作品、アウトサイダー・アート、障害者アートなど既存の “芸術” と言われてきたもろもろの概念、価値判断が覆された
——生き辛い時代、誰しもが悩み苦しみ、病んでいると思う。自分を含め現代人が免れ、回避している問題が、個々にある作品から、作者たちそれぞれが直面している情況と懸命に向き合い、格闘し、かけがえの無い自己表現活動を続けているのだ、と実感させられた
そして
——会場に入った時、はじめ衝撃的だった。重く、深刻な絵が多くて、私には耐えられるかな、と思ったが、観ているうちに、向き合っているうちに、自分にも思い当たること、繋がるものを感じ、力を与えられた。
などなど、第1回展から毎回、来場者が語り伝えたこと、アンケート文に書き、原画を前にしてこもごもに語り合った臨場感溢れる対話から伝わってくる内容は、この様な四群の反応反響に分類、集約できよう。
“初めに絵ありき”。苦難苦境=パッションから産み出された作品は観る側の一人ひとり、それぞれの視点、感性によって、<観られる・観る>という固定位置、仕切り枠を超えて双方向から歩み寄り、溶け合い、繋がり、引きだし、拓かれて行く。この様に観て、感じて、伝えてくれる人達との双方向からの往還、その場、プロセスによって、出逢いによって私達こそ多くの気づき、学びをもたらされ、励起された。
新たな共働、再生が始まる。
この展覧会の名称は患者さんの作品展だから「心のアート展」で良いのでは無いか。何の異論はない。一方、”心”は日常使われているありふれた普通名詞。漠然として、どこに焦点があるのか、この展覧会の狙い、作品の質実を直截に伝える語彙が欠落しているのではないか、と言うのもまた、当然と言えるだろう。
が、このような議論、見解は「心のアート展」が目指し、構想し、この時代を生きる人々に提示し、問いかけようと企図した、その真意を離れて、表層で交叉している、と思う。第一回展からその展ごとのテーマに相応しいサブタイトルをつけて、この展覧会の全体像と独自性、個有性を明示しようとした。”心の危機の時代”など流行化現象に対して、心と身体の深淵からの叫び、表現の原点を模索して来た。
第1回展「生命からのこもれ日・無形の営み、有形の結実」。第2回展「生命の証し、芸術の力、新しい使命」。第3回展「生命の光芒、再生と律動」。そして、第4回展。「さまざまな感性との出会い」。
会場に足を運び、原画を前にし、それぞれの目線、立ち位置、そして自己の現況、心性に重ね合せ見入り、問い返す、という往復交感の作業によって、毎回毎回の「心のアート展」の会場は台本の無いオムニバス・ドラマの舞台のような時空間が創られて行った。それは結果発表会のような限られた時空間にとどまるものではなく、今、此処から始まる終わりの無いドラマとも言えよう。
“心”の書体文字は人間の身体の中心部に在る心臓の形状を表す象形文字であることはよく知られている。心臓は生命体の重要な器官であり、知・情・意=人間の精神活動をつかさどる心身の中心部と考えられてきた。そして、心を”シン”と音読するのは、心臓から送られる血液が血管を通って細い脈へと流れ、全身の細胞組織に染み込んで全身にゆきわたる。生命活動の原点。その心臓の鼓動の繊細なことを意味する”繊=セン”からきている、という。”心”は人間生命体のもっとも重要な中枢器官であり、”シン”の語音は心臓の繊細、しなやかな律動的な音響を言い表し、その響きは人間の精神の在る場所と考えられてきた。まさに生命体の中核、心身全体の営みを司るところを心=「こころ」、「シン」と表象、発語してきた。”心”は人間的生命、精神活動の核心=”芯”を表している。
“心”——「心して」「心の糧」「心の奥」「心の嵐」「心を病む」
“シン”——「初心」「決心」「中心」「心機一転」「心血を注ぐ」
などなど、”心”、”しん”の書字、訓読文は人間の体と心、生命の営みを表現する最重要な言葉が無尽蔵に創られ、書き表し、語られてきた。それ故にこそ「心のアート」は人間、社会、文化・芸術など、人間的生命活動の全体、根源に由来している。アートは人類誕生以来、太古の時代から現代へと栄枯盛衰の過程を繰り返し、営々と続けられてきた。最も人間的な、そして生命体の未知未開の全体像、根源を発掘発見、「心のアート展」は耕作工作の一端に繋がる活動であるよう努力、専念して行こう、と思う。
人間は時代と共に高度、豊かな近代社会を築き上げてきた。一方、生老病死——病い、障害、老い、太古から営々と続けられて来た自然災厄にも遭遇し、それを耐えしのぎ、身を持った体験の中から再生復興を遂げて現在がある。人間生命の自然、必然の営為、なかでも芸術文化の営為は人類誕生以来、人間的技と感性の創造と再生復興の歴史を辿って来た。
芸術の歴史そのものは、絶えざる軋み、対立、誤解、逆風があり、それゆえにこそ、発見、創造の転機、創造の力をもたらされてきた。「心のアート展」は人間的な、もう一つの創造活動の一端を担うイベントを目指して行きたい。