これまでの展覧会

特集展示 安彦講平 心のアート展

安彦が東京足立病院に勤めはじめた1960年代後半~70年代は、精神科医療においても大きな地殻変動が起きていた時期でもあった。

1968年にはWHOから派遣されたD.クラークが日本政府に対し、閉鎖的で収容的な精神科医療の在り方を強く批判し、地域医療を推進するための「クラーク勧告」を行った。

1970年には大熊一夫の『ルポ・精神病棟』が新聞に連載され、精神科病院の管理主義的な体質や、患者を省みない治療の在り方に批判が集まった。同じ時期、患者の側からも精神科医療への批判的な声が上がり、1974年には「全国精神病者集団」が結成された。「全国精神病者集団」は、精神科医療が患者を「危険因子」とみなし、社会防衛的で差別的な発想にもとづいた隔離主義を採っていることを批判し、患者の人権尊重を求めた。これに前後して、臨床の現場でも、志ある医療者たちが精神科医療の改革に向けて活発な議論を繰り広げていた。精神科病院の中で自由な自己表現の場を模索した安彦も、こうした時代の空気管から影響を受けたのであった。

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