これまでの展覧会

特集展示 高村智恵子 心のアート展

智恵子の姪・宮崎春子。昭和10年、智恵子がゼームス坂病院に入院した後、看護婦の資格を持っていた春子に光太郎が請い、約2年間、智恵子の最後を看取るまで付き添い、看護にあたりました。紙絵制作の現場を知る、おそらく唯一の人物です。彼女の遺した文章『紙絵のおもいで』から、病室の様子を抜粋して紹介します。

〜病室は二階の階段のつきあたりに位置し、六畳の畳敷きの洋間で、ドアを入ると右側に一間の押し入があり、その横に小さな茶箪笥がある。東南に半間の上下開きの窓があり、各一尺幅の出窓がある。藤の肘掛椅子一つ、直径一尺の瀬戸火鉢一個あるのみである。
殺風景な部屋の天井から吊り下げられた千代紙の折り紙が十羽ほど色あせてゆれていた。それに並んで色紙で石畳にあんだものを六枚笠形にとじ合わせた紙灯籠が二十三個ぶら下がっていた。
私はそれから毎夜のように伯母のかたわらにやすみ、そのやつれはてた寝姿を見ては泣いた、ただ神に祈った〜

〜いつごろから紙絵細工をはじめたかはっきりしないが、昭和十一年の終わりごろから、簡単なものを作りはじめていたように思う。
朝の洗面、髪もきちんと小さなまげにむすび、きつけも冬は大島の袷に銀ネズの繻すのだて巻をむすび、朝食がすんでしまうと一日の紙絵の製作がはじまる。押入の前にきちんと坐り、おじぎをしながらいろいろの色紙、アラビアゴム糊、七㎝ほどの長さの先の反ったマニキュア用の鋏、紙絵製作の素材道具を静かに取り出しはじめる〜

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