私は今年の展覧会の第二次審査会に出席できなかった。心臓の病で1月18日から2月8日まで入院していて、退院後も安静と病臥で動けなかったのである。しかし、それでは責任がまったく果たせなく、申し訳ないと思って、2月18日に、ちょっと無理かなと思いつつ、八王子の平川病院に集められている候補作品を見に出掛けた。
しかし作品を見ているうちに、自分の病気を忘れて、いつのまにか夢中になっていた。前2回にまさる、傑作・力作・創作の森に迷いこみ、まずはこれだけの作品があれば今年の「生命の光芒 再生と律動」は立派にできるのではないかと安心し感心し感動したのである。
展覧会実行委員の安彦講平氏と宇野学氏が同席してくださり、励まされて一つ一つの作品を一生懸命に鑑賞した。それぞれに個性があり、全体としてどういう傾向の作品が集まったのか言うのがむつかしい。自分の病や困った状態をなるべく正確に描き出そうとする熱意が、自然に独創になり、迫力のある作品になっていて、私を惹きつけていったと言うほかはない。
まずH・Mのスケッチブックに引きつけられた。あまりに数が多いので、その中の3点をえらんだのだということだが、このスケッチブックのどの絵も、私は心の闇を現していると思った。
大口節子の「秋嵐」青い不思議な嵐に、いいなと思った。H・Mの混沌に対して、ここには動きと気品がある。最初近くで見てから、ほかの絵を見ているとき遠くから見ても、この動きと気品が語りかけてくる。これも秀作である。
石倉真理の色彩豊かな絵画も私を引きつけた。連作のうち「帰り道」は暗い少女がお花畑で黄色い鳥に会うのが寂しさを現していていいし、少女たちが重力のくびきを脱して空に飛ぶ「空想の中に飛び込んで」もよかった。線画の「花が枯れる」を見ると、この作者はデッサンに確かな習練を積んでいて、しかも気品のある絵を仕上げている。
佐藤由幸の「視線に恐怖する悪魔」に感心した。日本人の視線恐怖は自分が相手を見ると同時に相手が自分をどう見ているか、と二重になる特色があるという研究は、笠原嘉編の「正視恐怖・体臭恐怖」に詳しく、とくにこちらが向こうを見ると同時に、向こうがこちらを見る恐怖、この往復運動が特色である。これは自分を見つめる悪魔のような視線を、きっちりと描きあげている。
さて、その中でなにがもっとも優れているかを定めるのはむつかしい。投票数の多い人が受賞に値するとしか言えない。
私が嬉しく思うのは、年々、いい独特な作品が出品されることである。この展覧会をすることによって、病が癒されいく。その確かな手応えを私は強く感じた。