これまでの展覧会

第4回 心のアート展

  • 「アトリエ・ノン・フェール」正面から左右に伸びるアトリエ専用の建物

  • ここでは潜在する創造性、可能性を、表現活動を通じて発揮できる

  • ホッチキスで壁面に打ちつけた画用紙にグイグイと描き込む

  • ホッチキスで壁面に打ちつけた画用紙にグイグイと描き込む

  • 絵を描いたり、歌を歌ったり、楽器を演奏したり、ダンスをしたり、自由に過ごせる「場」

  • 楽器を演奏するサバス氏(ベース)とメンバー

  • 大きなキャンバスに身体全体で向かっていく

  • 壁面や天井にまで作品が飾られ、アトリエはアートで埋め尽くされている

「ノン・フェール」とは

「ノン・フェール(non faire=何もしない)」、それは何かを生み出すという目的を持たない活動を意味します。ただ歌うためだけに歌い、ただ描くためだけに描く…。あらゆる制約や失敗すること、誰かに評価されるというとらわれから自由になってただ歩む心地のよい散歩のようなもの、とでも言えばよいでしょうか。

ノン・フェールのアトリエは、その時、その人それぞれの心のおもむくまま、ひらめきのままに「何かをする」ことも、あるいは「何もしない」こともできる場としてあります。そのような日々の活動や研鑽の結果、多様な表現者たちによって生み出される、実に多様な作品たちがそこに存在することになります。

アトリエでは作品は義務として創作されるのではなく、自らの内面的欲望の発露としてあり、専門的な技術や学術的な知識が求められることはありません。アトリエメンバーは自らのその時々の欲望を、多彩なひらめきや能力によって表現してゆくのです。

そしてDDA(Donner Des Ailes=翼を与える)は、ノン・フェールの表現者たちの創造力や表現への欲望を刺激し、彼らが画家や哲学者や小説家、あるいは音楽家やコメディアンとして病院の外でも存在が認められるための援助をする機関として活動をしています。

Histoire -1983-2005病院の中の「ノン・フェール」(1983~2005年)

1983年、メゾンブランシュ精神病院のある病棟に、精神科医のパリエントと画家でミュージシャンでもあった看護師クリスチャン・サバスによって、この自由な表現の場は創設されました。パリエントがその発展の基礎となる環境を整え、サバスが活動の最初の指導者となったのです。

創設から10年後には、ノン・フェールの画家たちが新たなメンバーたちのよき指導者となり、そこはメンバーたちを孤立させることのない、生き生きとした関係の場となりました。そして20年後には、5000点に達した作品を収容するために、アトリエは1000㎡に拡大されました。

アトリエの型破りな活動は、メンバーたちが心の痛みを拭い、安らぎを得ることへの一助となっています。そして様々な文化的イベントを通して、このような活動が世間に知られることで差別や偏見による孤立無援状態が解消され、円滑な社会復帰がなされるようになりました。ノン・フェールの活動は、精神障害に対する社会的な排除や差別、偏見などとの戦いでもあったのです。

Histoire -Depuis2005地域の中の「ノン・フェール」(2005年~現在)

2005年、メゾンブランシュ精神病院は小規模なグループとして地域の中に分散することとなり、ノン・フェールの拠点となった病院建物も売却されました。地域での活動においては、それまでのように精神的な病苦をめぐる問題だけではなく、病院という枠組みがなくなったがゆえに生じる様々な課題へと新たに挑戦することが求められるようになりました。

2008年、イスマイル・コナテと6人のノン・フェールメンバーたちが、RATP(パリ市交通公団)グループの財団と共同で活動を発展させていくことを決め、長期的な見通しの下、それぞれが創造性を発揮して、自ら行動を起こすために、個別的に必要な支援を行うことを目指しました。そしてこの活動は、市民権を得るためにDDAという代理店の形をとることになりました。

2009年からは、DDAはノン・フェールの財政面、および作品や自由な表現の場としてのアトリエの保護を含む全てのプロジェクトを管理し、地域と関係を結ぶための支援をしています。ノン・フェールのメンバーたちは、自らが社会において果たしうる教育的な役割をも自覚し、波乱に富んだ人生や傷を負った人間性の回復をかけて活動をしています。彼らは自らの創作活動が、希望や生きる力を誰かと共有することにつながり、さらに社会との繋がりを生んでゆく、ひとつの原型になると考えているのです。

Invitation au JAPON日本の皆様へ

東京精神科病院協会(東精協)から「心のアート展」へご招待頂いたことは、ノン・フェールの活動にとって大いなるエネルギーの源泉となります。わたしたちの活動が新たな次元へと一歩を踏み出し、メンバーひとりひとりが自らの果たしうる社会的な役割を自覚するきっかけともなりました。この機会は、ノン・フェール創立30周年の節目として、これまでの成果を振り返り評価するというよりは、未知の領域への新たな旅立ちとして捉えられるべきでしょう。

ノン・フェールは今日まで、個々の内面的な欲望が豊かに表現されることを歓迎する場であり続けてきました。その表現がいかなる方法によるものであっても、です。だからこそ、ひとりひとりの人間がそれぞれのあり方で、そこに存在することができたのでした。

DDAは、ノン・フェールで生み出された表現が広く受容され、メンバーたちが病院の外で生きるきっかけとなるような、絵画展やコンサートを通した地域との交流を支援しています。東精協の「心のアート展」への出展もその一環であり、地域の中での活動の意義を伝えてゆく、すばらしい機会となることでしょう。

わたしたちは「ノン・フェール」の精神や思想を尊重しつつ、職業的義務感というよりは、生きた感情を持つひとりの人間としての責任感のもとに、様々な文化的プログラムを企画しています。そのことによって、多彩な創作活動が展開され、真のアーティストたちが生まれていくと信じています。また、このような活動をさらに発展させるかたちで、創造活動に携わろうとする後進たちの育成を目指し、それぞれの資質を高めるために必要な支援をするフォーラムを3ヶ月ごとに開催するという試みも行っています。

合気道家であり哲学者でもあった津田逸夫は、自身の著書(1973年)の中で「何もしないこと(Non faire)」は「気」の根本原理であると述べています。これを読み、自分たちの活動との共通性を見いだしたアトリエの最初の表現者のひとりであるEvelyneが、1983年にアトリエを“ノン・フェール”と名付けたのでした。

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