これまでの展覧会

テキスト 心のアート展

1968年から精神科病院内での芸術活動を続けて、今に至る。40数年間、絵を中心とした創作の場を通して、たくさんの患者さんたちと表現活動を媒介とした相互交流を続けてきた。大半の人は、はじめ、絵を描くことに多少のためらいを覚えるようだ。専門の教育を受けたり、技法的訓練を積んできたという人は稀で、むしろ絵を描くのは下手、苦手と思い込み、自称する人が多い。何時しか、画用紙やキャンバスに向い、その時々の、それぞれの心の内を表現するようになる。既成の技法や価値尺度、趣味、趣向から離脱し、解き放たれて、自分の内に潜む、その人、その時の表現が現象する。そこに至る過程、場と関係性を大事に見守って行きたい。

病院内の一角に設けられた自己表現のための専用スペース〈造形教室〉もまた、患者さんたちとの協働による「地ならし」「開拓開墾作業」によって造り、育て、現在進行形のもう一つの「作品」である。「奥の院」と称する特異な時空間は、病との「出遭い」、絵との「出会い」、人と人との「出逢い」の場ともいえる。

〈造形教室〉には、しばしば、何かを探し求める見学者やボランティアの人たちが訪れ、そういった場面でも、内から外へ、外から内へ、相互交流・交感が造られ、広げられていく。近年、「障害者アート」「アウトサイダー・アート」といった障害を持つ人の芸術に興味・関心が集まりつつあるが、表現は本来、そういった「枠組み」や概念、段差を越境していく力を内包した営みであると思う。

絵画や芸術にほとんど縁のないと思っていた人たちが、おそるおそる絵筆を持ち、戸惑いながら、これまでに無かった、他にかけがえのないその人その人の固有の形象を刻み印していく、その個の深層の時空間では、人類の歴史の中で芸術が誕生し、つぎつぎと変遷してきた悠久の系統的時空間が、再現され、繰り返されているのではないだろうか。またその人の表現はその時、個人の中で完結・完了しなくとも、「いつか」、「どこかで」、「だれかに」感応・伝染し、引き継がれながら開花、結実して、人類史の中に表現の系統樹を形成されていくだろう。芸術は永久に未完成「作品」。

人間的なるものとは、「思念」「感性」という「無形の営み」であり、「技術(技)」は有形の営みであると思う。文化にせよ、テクノロジーにせよ、形ある「技」が出来上がるためには、その根底に膨大な「無形の営み」が先駆、潜在している。文化は階段を一段一段上るように進歩、積み上げられていくが、それを支える無形の営みは、常に新しく生まれては消え、再生、構築され続ける。まさしく、律動するエネルギーがそこには脈動している。

古層の世界を彷彿とさせるナイーフな作品から、現代のコンセプチュアル・アートに至る森羅万象、実に様々な系統の作品が集まった。現象的には多種多彩だが、おそらくその深層では一つの根茎で連なっている。その水脈に、太古から現代まで、人間がたゆまず表現し、また表現せざるを得ない人間にとって不可欠な表現の根源的な意味、表現の系統発生が眺望されてくるようだ。

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